言葉を中てるということ

随筆

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詩を作ろうとするとき、自分のうちに言葉への向き合いかたがある。

それは、その場所に置くのに、その言葉が最適解だろうか、という絶えまない問いである。

そうして、その言葉は、難語でも装飾された語でもなく、自分の身体を通した日常語をあてたいといつも感じている。

日常語の表現というのは、意味を逃がさず、芯を射抜くように思う。

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自分にとって詩を作るとは、言葉の位相を外すことでも、奇抜な語による意味の亀裂でもない。

強い像を想起させる言葉を、激しく衝突させることでもない。

意味を逃がさず、しかも説明さえ要らない語を、その場所に的中させることである。

これは、既存語の関係を外すことより、ずっと難しいと感じる。

研いだ身体的感覚が、長い時間の末に、ひとつの言葉に収束するのを、じっと待たなければならない。

詩の難しさとは、そのように言葉で芯を射抜くことにあると思う。

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三好達治の「雪」は、その感覚が命中した詩だと思う。

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雪

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太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

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ここには無駄な語句も外しもない。

難語も装飾された語彙もない。

平明で、構造も簡素である。

太郎と次郎の安息の眠りと、外界の静かな降雪の持続とが、反復の配置だけでみごとに納まっている。

余計な説明がないにもかかわらず、家々の屋根にかかる雪の重みさえ外していない。

夜の深い閑けささえ、感じられる。

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アルチュール・ランボーの「永遠」の冒頭句にも、また違った命中の精度がある。

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L’ÉTERNITÉ

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Elle est retrouvée.

Quoi ? — L’Éternité.

C’est la mer allée

Avec le soleil.

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原詩の語彙に従い、直訳に近い形にとどめると、以下のようだと思う。

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永遠

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また見つけた。

何を?――永遠。

太陽とともに去った

海。

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「永遠」という巨大な言葉を、哲学的な装飾もなく、「また見つけた」「何を?」という、日常会話のような言い回しで、唐突に置いている。

日常、そこに身体を置いていたら、永遠をふと見つけたように呟いている。

そうして、直後には、太陽と海という永劫の自然の像をおもむろに置く。

この一節には、日々のどこかで、ふいに口ずさんでしまうような妖力がある。

読み手の日常に突然現れてくる。

季節が移ったとき、何かを失い、そして手に入れ、何かを感じたとき、

「また見つけた。何を?――永遠」

という片句が脳裏に居座ってしまう。

ランボーの言葉には、そのような中毒性があるように感じる。

難しい思想を構えてはいない。

誰でも知っている日常語の、少し粗い言い回しが、読み手自身の生活の言葉にも混じり合う。

そして、読む者の年齢や経験が変わっても、その言葉が何度も日常に現れてくる。

ランボーの詩が持つ強さのひとつは、そのような言葉の魔力にあるようにも思う。

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ウィリアム・ブレイクの「病める薔薇」にも、その命中がある。

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THE SICK ROSE

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O Rose, thou art sick:

The invisible worm,

That flies in the night

In the howling storm,

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Has found out thy bed

Of crimson joy;

And his dark secret love

Does thy life destroy.

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これも直訳に近い形にとどめて訳出する。

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病める薔薇

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おお、薔薇よ、おまえは病んでいる。

見えない虫が、

吠えたける嵐のなか、

夜を翔《かけ》り、

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おまえの、深紅の歓びの床を、

見つけ出した。

そして、その暗い密かな愛が、

おまえの命を滅ぼす。

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ここで薔薇は、枯れているのでも、萎んでいるのでもない。

病んでいる。

この一語によって、自然な時間のうちに衰えてゆく薔薇ではなく、何かに侵された薔薇が立ち上がる。

そうして次にworm、虫が置かれている。

蠢き潜むような像をもつ虫である。

夜の嵐のなかを密かに近づき、深紅の愉楽の床を見つける。

薔薇の命と美しさを滅ぼす。

薔薇、虫、夜、床、愛、命。

いずれも平明な言葉である。

それでいて、それぞれの言葉が置かれた場所から意味が幾重にも深く開いてゆく。

像が見える語を、その分だけ置いている。

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詩の構造は複雑ではない。

むしろ、構造をほとんど感じさせずに、世界を表現し尽くして立たせてしまう。

平明で短く、逃がしもなく、それでいて世界が詰まっている。

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短く置かれた言葉の中へ、世界そのものを嵌め込むこと。

誰にでも理解できる言葉でありながら、そこにだけ確かに嵌まる言葉を中てること。

そうして、その言葉たちは平明であっても、自分の身体から出ていること。

詩作とは、その語感を探り、その一致をひたすらに待つ行為だと感じている。

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