アルチュール・ランボーについて

随筆

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二十歳のころ、ランボーに魅せられていた。

早熟・不遇・天才・並外れた行動力・不慮の病死。

まったく、若さが人生に求めるような憧憬対象が詰まっていた。

でも、正直に言えば、詩はよく分からなかった。

小林秀雄・粟津則雄・鈴木和成らの著作を読んで、分かったような気になっていた。

ランボーは詩人である前に、神話装置として出来すぎていた。

刺すようなぎすぎすした表現には、幻惑されてしまう魔力があった。それだけを漠然と感じていた。

美と反逆への羨望だったのかもしれない。

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大学の輪の中に、ランボーに関する本をよく読んでいる同期がいた。

ランボーが好きか、詩を書くのか、そんな直截な質問を、彼にぶつけたことがある。

「ランボーの生き方に興味がある」

と彼は答えたが、詩作するかは黙っていた。

彼は普段から輪の端にいて無口だった。

「生き方に興味がある」

彼は本当にそう思っていたのかもしれない。

けれど、若かった私は、詩人について話すさいに、うまいかわし方だな、と感じた。

だから、この稿も、詩への解釈や感想ではない。

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アルチュール・ランボーは、

一八五四年にフランス北東部、ベルギー国境に近いアルデンヌ県シャルルヴィルに生まれた。

家は土地と農場を所有する農村の上位の階層であったという。

詩人として十代で頭角を現したが、二十歳前後には詩作から離れた。

その後はヨーロッパ各地を転々とし、中東を経てアフリカに渡り、商人として働いた。

病によりフランスへ帰国したのち、マルセイユの病院で、三十七歳で亡くなった。

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ランボーの詩には、天性の鋭い感覚がある。

色、音、熱、光、匂い、それらが一挙に結びつき、飛躍してゆくようにみえて、

じつは言葉の置き方はきわめて緻密である。

彼の飛躍には、未整理な置換などはない。彼自身の感覚の内部では、すでに筋がしっかり通っている。

ランボーの詩にあるのは、経験の熟成というより、

若さに宿る感性の極度に鋭い噴出であるように思う。

そうして、その鋭さは、奥行きのある深さとは異質の、幾層もの鋭さである。

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ランボーがなぜ二十歳で詩から立ち去ったか、それは彼の人生の大きい謎である。

けれども、その問いは逆ではないかと、感じる。

つまり、なぜ詩が、ランボーに置き去りにされたのか、である。

現実という感触の妖力に、なぜ詩は敗れたのか、見るべきはその方角なのではないだろうか。

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ランボーの詩は、当時のパリの詩人たちの一部からは賞賛された。

けれど、ランボーは彼らでさえ、

自分の言葉を深く理解していないことに気づいたのではないか、と思う。

「この程度なのか」

彼は思ったかもしれない。

詩を深く理解するには時間がかかる。けれど彼は、もうじっとしていられなかった。

普仏戦争のさなかに家出までして、パリへ来たものの、

詩作で世に起つ野望はやがて萎んでいったのだと思う。

そうして彼は詩そのものを見限った。

「こんなところに居ても仕方がない」

それは芸術を軽蔑するということではない。そこにとどまっていられなくなる焦燥感である。

魂の居場所を、もう他に探し始めたのである。

本当に魂を刻むような感覚がもし詩作にあれば、

彼はあれほどすっぱり詩から立ち去らなかったのではないかと思う。

ランボーには、そんな不幸な感覚があったように感じる。

若い時期は外部に刺激を求める。恋・願望・啓示・未知・絶対・別の生。

詩は彼にとって、身を焦がすほどの生の肌触りにはなりえなかった。

感性は詩を創造できても、本能はなお飢えていた。

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その後、彼はヨーロッパ各地を転々とした末、

イエメンのアデンやエチオピアのハラールを拠点に交易に関わった。

しかし、右膝の病変によりフランスへ戻り、右脚切断手術を受け、回復せずに亡くなった。

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卓越した詩才を持つ者が、なぜ砂漠まで流れていったのか。

いや、稀なる詩才があったからこそ、

彼は余人では耐ええぬ現実のただなかへ、自ら身を置く選択をしたのではないだろうか。

破滅したかったのではない。

早死にしたかったのでもない。

行き場所や止まり木が、まったく無かったわけでもない。

それでも彼は、この世の悲惨さを見ないでは済まなかった。

そこまで触れなければ彼の詩才の心性は、気が済まなかったのだろう。

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アデンやハラールに残るランボーの足跡には、詩魂の残照や片鱗はない。

過酷な商売遍歴と、その現実の中で格闘する姿がある。

青年期に残した詩の、あの冷徹な言葉の響き合いと、

後年の商人としての苛烈な現実感覚とは、ランボーの内部で断絶していたのではないだろう。

乖離していたのは、感応そのものではなく、

それをどのような言葉にするかだけだったのではないだろうか。

ランボーは、武器さえ商品として扱う交易商人として、苛烈な商売のただなかで、

かつて詩が触れきれなかった《ささくれた現実》の真の肌触りを、身をもって知ったのだろう。

現実は彼に重くのしかかってきたのだと思う。

しかし、ランボーは、詩魂を失ったのではない。

言葉を吐き出すことも、故郷も親族も忘れてはいない。

ランボーは行く先々で母ヴィタリーや末妹イサベル宛に手紙を多数書いている。

ランボーの手紙には、詩人の高みなどはない。あるのは、危機に陥った商人の正確な報告である。

そうして、腫瘍を患いフランスに帰国する手紙には、

痛い、歩けない、戻らねばならない、金を整理した、来てくれ、死ぬかもしれない、

そんな生の言葉たちさえ並ぶ。

そこには、若い日の傲岸な饒舌はなく、現実に鍛えられて、

恥などはとうに越えた商売人の、実行を要求する的確な言葉たちがある。

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亡くなった後のランボーの周辺には、

原稿、手紙、病、噂、醜聞、未清算の金、途切れた生活の痕跡が放置された。

家族や係累はそれを見直し、処分しなければならない。

母ヴィタリーと末妹イサベルがそれを担った。

すると、パリの詩人たちの方からは、彼への弔意と称賛さえ聴こえてくる。

彼女たちは、死者の残骸から、何を残し、何を伏せ、どう語るかを引き受けてゆく。

そうして死者は、後世に耐える像へ清められてゆく。

包括的な相続人となったイサベルは、やがて夫のパテルヌ・ベリションとともに、

兄の名誉と文学的遺産の守護者となる。

喰うためにうろつき回り、皮肉で、過去を語らず、現実の刺激を追った男のままでは、

抱きとめやすい神話にはなりにくい。

だからこそ、苦しみの中で改心をした詩人、

最後に神への敬虔さを取り戻し、救済された像として編み直されてゆく。

これは、ランボーだけの話ではない。

ゴッホにも、ニーチェにも、死後に作品と像を引き受けた者たちがいた。

もちろん、それぞれ状況も、残された者の手つきも異なる。

編纂は、ときには美化であり、改竄でもある。

生のままでは扱いきれなかった男たちが、

死後にようやく、家族の手によって世間へお披露目できるかたちになってゆく。

生身の生臭さを清められ、神話として立ち上がる。

それは華やかな創造の力とは違うが、日常の暮らしを担う者たちの現実への眼差しである。

壊れたものを拾い、整え、持ちこたえさせる力でもある。

ランボーは詩を置き去りにした。

だが、詩のほうで彼を諦めるには、ランボーは大きすぎた。

イサベルにはそのような思いは無かったのかもしれないが、

彼は再び、詩の円卓に括りつけられたのである。

ランボーにとっては不服かもしれないが、

置き去りにされた詩たちは、それによって拾われ、《永遠》を与えられたのである。

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《ささくれた現実》へ降りていったランボーの心理には、

人生そのものを一篇の詩のように引き受ける魂があるように感じる。

ランボーの詩が、いまも我々を掴んで離さないのは、

彼の残した詩篇の向こうに、現実と闘い続けた姿を見るからなのかもしれない。

彼は芸術の特別席で得られたはずの地位にさえ見向きもしなかった。

それは、簡単にできることではない。

その姿は、毎日にしがみつきながら生きる我々の背後に、いまも立っている。

ランボーの詩には、打ちひしがれ、すり減ってゆく人生の拠り所として、

我々を支えてしまう力がある。

いや、支えてくれるのではない。我々のほうが、それを支えにしてしまう。

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意味を探してランボーを読んだ若い日の私は、何ひとつ受け取れなかった。

それは凡人である私からすれば、正しい敗北だったのかもしれない。

若い私には、ランボーの詩は、田舎出身者が初めて歩く、煌めく都会の大通りのようだった。

意味は追いつかない。ただ、魂だけが受けとろうと高揚している。

ランボーの詩には、特定の情愛に固執しない感覚があるように思う。

彼は人も場所も詩も通過した。

拒んだのではない。

受け取り、そうして済むと置き去りにしたのである。

それらは彼の気質では、ごく当たり前の行為だったのかもしれない。

そんなさっぱりとした去り方は、到底できるものではない。

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ランボーは、パリという都市にふらりとやってきて、大通りの鋪道に胡坐をかき、

通り過ぎてゆく世界を、そこで、深く穿つように詩へ換えていった。

そうしてまた、ふっつりと居なくなった。

私は、そんなイメージに、身を震わせていたのかもしれない。

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