黒髪

詩文

  

二十一のとき、ふたつ下の女性と暮らしていた。

折れそうなほど細い、おとなしいひとだった。

  

そのころの私は、受け止めたいものを、こちらからさし出すことを知らなかった。

足りないものを世間のせいにしていた。

就職の時期が近づいても、無いものを社会に探していた。

  

不満をいうと、彼女はしずかに聞いていた。

しいて訊くと、

「うまく言葉にできないの」

と瞳をふせて黙りこんだ。

私はいつも物足りなさにとり残された。

  

働きはじめたころ、私は彼女とわかれた。

部屋の底には、温度のない空気がこびりつき、二度と私を受け入れなかった。

二年あまりの同棲だった。

  

それから私は、少しずつ彼女の面影を失くしていった。

写真は残さなかった。

長い髪。

ふっくらした唇。

うなじの黒子。

彼女は繋がらない断片になった。

  

十数年が経ち、私は納戸で、学生のころに買った本をながめていた。

棚で埃をかぶっていた。

  

そのとき、一本の長い髪の毛が、頁のすき間から、はらりと床へ落ちた。

私は拾いあげ、指にまとわせた。

頁の間にあった時間を感じさせず、艶を含んだしなやかさが、伝わった。

彼女の髪だと、私はすぐにさとった。

古びたアパートの部屋が、脳裏によみがえった。

  

晩秋の陽が畳にのびている。

彼女は窓辺の椅子に座り、この本に瞳を落としている。

時折、頬にかかる髪を細い指でかきあげている。

  

痛みがはしった。

面差し、口元、瞳、頬。

そして、その先にある感覚が、

私をさいなんだ。

  

私は耐えきれず、書棚の上に髪をそっと置いた。

そうして本を無造作にめくっているうち、ふと、昔の辞世の句を思いだした。

  

  黒髪の乱れたる世ぞはてしなき 思いに消(きゆ)る露の玉の緒

  

彼女は本をみつめている。

けれど私は、

何も差し出さず、何も受け取らず、

ただ傍らに居つづけている。

  

私はその背中を、

黙ったまま、見詰めつづけた。

  

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