窯変の青磁器

小説

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香月泰男という洋画家がいる。終戦直後、満州でソ連に抑留され、

シベリアでの体験を作品に残している。

香月の画をどこかで見掛けると、私は藤江領吾を思い出す。

画中の人物と領吾が似ているかは自信がない。

その二つを繋いでいた線は、いつの間に朽ちてしまっている。

残っている領吾の姿は、白髪混じりの無精髭と、痩せた中背の後ろ姿だけだ。

もう十年以上も前の事だ。

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当時私は、板金工場でアルバイトをしていた。仕事の内容に何か関心があったわけではない。

ただ人との対話が少ない、それが私のアルバイト先の条件だった。

領吾はその工場の技手だった。役職は何も付いていなかったと思う。

けれど工場長や主任よりも手作業の技能があった。

私は領吾を、五十歳くらいに見ていた。しかしあとで、三十六歳だと知った。

老けて見えるのは、暗い印象のせいだったのかもしれない。

現場の職人たちは、冷めた雰囲気と手腕への揶揄を込めて、陰で領吾を〔博士〕と呼んでいた。

けれど、その渾名は理工系の大学院出であることから付けられたと、あとになって知った。

領吾は山陰の公立大学院を出ており、実際は〔博士〕ではなく〔修士〕だった。   

彼がどんな経緯で、いまの技能を身につけ、生まれ故郷だという山陰から東北の中都市まで

辿り着いたのか、社員は誰も知らなかった。

領吾は職人たちと交わらなかった。淡々と分担をこなして、

他の職人が困っていれば、黙ってそれもまとめあげる、そんな風だった。

教えるより自らやる方が早い、そのように見えた。

しかし、他の者に決して冷淡でもなかった。線引きした境界の内には入れさせない、

そんな距離の取り方だった。

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虫垂炎の手術で彼が入院したのは、私がアルバイトをはじめて半年が過ぎた頃だった。

病室を見舞ったのは、晩春の夕方だった記憶がある。

現場の工員たちが少しずつ出し合った見舞金を私に任せたのだ。

押し付けたというほうが近いかもしれない。

受付で教えられた病室に行くと、領吾は四人部屋の廊下側のベッドに居た。

半身を起こして備え付けのテレビ画面をぼんやりと見ていた。

見舞い金を渡そうとすると、領吾は手を伸ばすこともせず、

「いいかげん、酒が呑みたい」

と口元を歪めて笑い、そしてまた黙った。

私はサイドテーブルに封筒を置き、病状を儀礼として尋ねた。

すると領吾は、三日前に手術を受け、順調らしいと、他人事のように答え、

病室の入り口からみえる廊下の隅を、遠い眼差しでみつめた。

私は領吾の面貌を間近で見るのは初めてだった。三十六歳にみえなくもない顔面には、

艶もなく白い無精髭が伸びていた。仕事場での冷たい印象はなく、疲れ沈んだ面持ちだった。

「丹野君は、年はいくつなんだ?」

唐突に領吾がそのとき私に訊いた。

「十二月で二十歳になります」と伝えると、領吾は私の顔をじっと覗き込んだ。

そうして「少しだけ、独り言に付き合ってくれないか」と云い、椅子に座るように促した。

「おれが君くらいの年だった頃の話だ」と領吾は続けた。

帰りたい気持ちを抑えて私は、黙って椅子に腰をかけた。

領吾が話しはじめた。

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おれには、姉がひとりいる。

姉は母の連れ子だ。年はおれと五つ離れている。

おれは父と母の再婚で生まれた。兄弟は他にいない。

姉との仲は最悪だった。

姉は気性が激しかった。おれは小さい頃からよく泣かされた。関係は大人になっても変わらなかった。

口を利くことはなく、向き合うのは衝突するときだけだった。

姉は父にも懐かなかった。母を奪ったという思いがあったのだろう。

姉は高校を出ると、町にある紡績会社に勤めた。そうして実家を離れて一人暮らしをはじめた。

おれたちとは離れたかったのだと思う。

だからおれたちは、姉の心がいつから傷みはじめたのか知らない。

原因が何だったか、姉に何があったのかわからない。

生活の乱れに最初に気付いたのは母だ。姉は会社にも欠勤を続けていた。

そうして二十四歳のとき実家に連れ戻された。

戻った姉は変わり果てていた。何事にも潔癖だった姿はなかった。

身支度さえ構わないその様子は以前とは別人だった。

そしていちばん驚いたのは、酒と煙草だ。その二つが手放せなくなっていた。

姉は以前のようにおれを目の敵にすることはなかった。

けれども、おれの存在そのものが姉の視界から欠落していた。

おれは他人でもなく、まったく居なくなっていた。

たまに日常の用事で短い会話を交わすと、姉はおれに敬語を使った。

そのとき以来おれは、はじめて姉を、肉親として見つめるようになった。

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姉が消えたのは、ちょうどいまのような晩春だ。朝、部屋にいないことに気付いた。

携帯電話もキャッシュカードも精神科の薬も部屋に置きっぱなしだった。

玄関の靴やサンダルもそのままだった。

三人で町中を探し回ったが見つからなかった。

次の日、警察へ捜索願を出したが、行方は結局分からなかった。

置いて行った携帯電話が鳴ることもなく、銀行の口座から金が引き出されることも無かった。

姉はまるで溶けた氷が地面に吸われるように居なくなった。

母が死んだのはそれから三年後だ。

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母ははじめあちこちと手を尽くして探していたが、そのうちふっつりとそれを止めた。

それから何かを悟ったように無口になった。温和な表情をしていた。

それからまもなく体のうちに病巣がみつかり、医者からは手の施しようが無いと言われた。

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父とおれだけの葬式と荼毘。その寂しさはいまでも脳裏に焼き付いている。

納骨を済ませた夜、父がおれに母と姉の形代を持つことをねがった。

母のものを選びおえた後、おれははじめて姉の部屋に入った。

姉の部屋は主がいなくなった時のまま、カレンダーも当時のままだった。

おれは書卓にあった青い磁器を選んだ。手に取り高台の裏をみると小さなラベルが貼り付けてある。

☓☓年・夏、九州○○にて、と整った文字で記してあった。

窯変した青碧の一輪挿しの花瓶だ。

おれはそれを持って大学のある街へ戻った。花瓶は飾り棚の中へ置いた。

それからはあえて見るのを避けた。別に深い理由はない、

触れない、それが姉へのおれなりの手向けだと考えたからだ。

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それからしばらくして、何かを取り出そうとして飾り戸棚を開けた。

そのとき窯変の花瓶がころげ落ち、止めようもなく、床の上で割れてしまった。一瞬だった。

しばらく、おれはその飛び散った欠片をじっと見ていた。

少し前にあった地震で、花瓶はガラス扉のほうへ傾いていたらしい。

粉々に砕け散ったその様子に、おれは姉を思い浮かべた。弟に形代さえ許さなかった。

おれは姉がまだ何処かに居る、とそのときさとった。

姉との冷えた過去が頭を駆け巡った。

おれははじめて姉のために泣いた。

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おれは大学院を卒業した年に故郷を離れた。

以来故郷には一度も足を踏み入れていない。父にも会っていない。

ただ、ずいぶん前だが父から葉書が来た。母の年忌法要の際に、姉の位牌をつくり魂入れをした、

そんな内容だった。

それから、あの窯変の花瓶の九州旅行は、当時付き合っていた恋人との旅だったようだと、

そんなことが書かれていた。

その男が、姉が居なくなったあと、実家を訪ねてきたことがあったのだという。

おれは返事を出さなかった。

父はこれからもひとりで母の墓を守りながら生きてゆくと思う。

もうおれには、姉の面影がはっきりとしたかたちとして結びつかない。

姉には、それでいいのかもしれない。

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領吾は語りおえると、ずっと見つめていた自分の手の甲から、

ベッド脇の音を消したテレビ画面へ、眼差しを外した。

映された画像に関心があるわけではなく、そこにあるから眺めている、そんなていだった。

領吾にはもう私は要らないようだった。

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私はその年の冬に工場でのアルバイトを辞めた。

そして、二年後に大学を出ると、横浜の企業に就職した。

何年か経って、休暇で帰郷した際、あの工場の職人と町なかで会った。

ふと領吾の事を尋ねたところ、あの時の入院から一年ほどして退職したという。

噂では新興の中国企業から腕を買われて、いまは重慶に居るという。

そのときふいに私の脳裏には、領吾が現地の工員たちに混じって背を丸めている姿が浮かんだ。

領吾は遠い土地で自分のいまを良いとも悪いとも受け取らず、

手元にある仕事にただ向かい合っているだけだろうと、そんなことをふと思っていた。

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